“ミーハー”という言葉は本来あまりいい意味のものではないのは承知の上だけど、ここでは雰囲気や佇まいが“スーパー大好き”という意味で使わせていただきます。(敬称略です)
私のミーハー魂の原点、それは沢田研二!
それ以前にもドリフやピンクレディーなど好きな芸能人はいたけれど、トキメキ方が違う。
小学3年生位〜5年生の間、TVに出ているジュリーを見るだけで、私は幸せだった。
小学6年になると“たのきんトリオ”の野村義男のファンになった。
トシちゃん、マッチに人気が集中する中、ヨッちゃんファンはクラスで私とNちゃんだけ。
よく2人で慰めあったっけ。
ヨッちゃんは文化放送で10分くらいの番組を持っていたので、ラジオを聞き始めた私。
この頃の将来の夢は“(ヨッちゃんに会う為に)文化放送のアナウンサー”になることだった。
ラジオ番組も自分の恋心(?)にも終わりがあるということに気がついていなかった(笑)。
ラジオによって洋楽も聴くようになる。
80年代はブリティッシュロックの黄金期(といってもいいよね?)。
中学1年の頃、数あるミュージシャンの中で一番好きだったのはデュラン・デュラン。
ベース担当のジョン・テイラーが私にとって特別な人になった。
私世代の、しかも田舎育ちの中1といえば、夢見るお年ごろ(笑)。
情報が少ない分、妄想も炸裂よ!
ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコのように、デヴィッド・シルヴィアンの当時の彼女だったユカのように、私もジョンと結婚しよう!と心に決めていた(笑)。
彼女達のように芸術的才能は自分に無いという事を知っていたけれど、“大人になってロンドンに行けば、きっとジョンは私を探しだしてくれるわ♪”とあれこれ妄想にふけりながら、英語を勉強していた。
(結果的には英語は身につかず、ロンドンにも行くことはなかった)
中学3年の夏、デビュー前のチェッカーズをローカル番組で見て一目ぼれ。
ジョン・テイラー個人への愛情が薄れ、代わりにその席にはギター担当の武内亨が座ることになった。
中学生活が終わりに近づくにつれチェッカーズファンが増え、その子たちと話し合った結果、“彼らにお近づきになるには、まずバンドをやらなきゃいかん”という結論に達した(笑)。
そして高校に入学後、バンドを始めた。
高校周辺にはJRの駅があり、当時、市内では一番の繁華街。楽器屋もあるし大きい本屋もある。
トオルを崇拝していた私は、その本屋でトオルが好きと言っていた雑誌“宝島”を初めて手にとった。
当時の宝島はモノクロのA5サイズで、私が知らなかった世界が紙面にあふれていた。
私の興味は、それまでのメインカルチャーからサブカルチャーへ、メジャーアーティストからインディーズへと移行し、それにより、高2になるあたりから“ミーハー魂”の勢力は一気に下降する。
その後9年ほどの間、高校卒業後は仕事をしつつ、バンド活動やライブ通いなど音楽中心の生活を送っていた。
地に足のついた(?)恋愛もほどほどにあった。
しかし、25歳の春頃に、それまでおとなしくなっていた“ミーハー魂”がSMAPによって暴れだし、今に至る。
あ〜、改めて私ってバカだなぁ(笑)。
沢田研二のベストやデュラン・デュランやチェッカーズは今もたまに聴く。
ヨッちゃんのデビューバンド“THE GOOD−BYE”はあまり好きではなかったけれど、現在の活動をTVで見ると、とてもうれしくなる。
当時のように妄想にふける事はなくなったけれど、今でもやっぱり、彼らの事は好きなんだな。