2006年10月28日

注意力散漫

今日、外出中に階段から足を踏み外した。
あと少しで地面に(たぶん5段くらい)というところで、
いっきにお尻で滑り下りてしまった。
 
私の骨転移は現在、手足以外のすべてに及んでいる。
MRIのデータを見ると、ひどいのは頭蓋骨と骨盤周辺。
整形外科の先生から、”骨折を防ぐために転倒しないように”
との注意を受けている。
 
なのに、なのに・・・!
尾てい骨を打ってしまった。
その瞬間から涙が止まらなくなってしまい、
その場でしばらく泣き続けた。
周囲の人達は、よほど痛かったんだと思っただろう。
確かにかなり痛かった。
でも痛みより、骨折の恐怖とその先の生活への不安が
一気に吹き出て、どうにもならなくなってしまったのだ。
幸いなことに5分ほどしたら歩くことができたし、
娘を巻き込まずに済んだ。
一緒にいた、病状を知っているKちゃんのフォローもありがたかった。
 
夕方、娘がお気に入りのTV番組で
トーマスの”じこはおこるさ”という歌がながれる。
ノリのいいポップな曲なのに、詩の内容は事故・・・というギャップが 
個人的にとても好きなんだけれど、
”自信過剰になっているとたいがい注意力散漫に
なっちゃうから(事故が起こるんだよ)ね”という節があり、
正にそのとーり!!!と思ってしまった。(自信過剰とは違うけど)
 
今もまだ尾てい骨が痛い。
歩くには問題がないので骨折はしていないだろうけど、
座ると痛いので、出産後に使っていた円座クッションを出してみた。
もう出産はできないので処分しようと思っていたのだけど
とっておいて良かった〜♪ 
  
 
 
posted by かかん at 02:13| Comment(4) | TrackBack(0) | カラダのいろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

手術前日

手術前日に、当時の主治医S先生から説明があった。
室内には、S先生と看護士さん、私と夫と私の両親、そしてなぜか夫の両親。
 
入院中に行った検査結果を交え、手術方法の提案をされる。
 
*以下は乳腺専門ではない主治医からの2000年当時の提案です

  • 全摘・・・左胸全切除&リンパ切除
  • 温存(断面陰性)・・・上部腕側 1/4扇状切除&リンパ切除

                 術後放射線 25回

  • 温存(断面陽性)・・・術中に全切除に変更するか否か。

                 温存にこだわるならば、放射線と抗がん剤が
                 残ったガン細胞に利くかもしれない。
                 ただし、経過によって再手術を行う事もある。
 
”断面陰性の温存”と”全摘”の予後を比較しても、
治療成績はほとんど変わらない、と説明を受けたうえで、私は全摘出を申し出た。
仮に、温存で術後再発したと考えた時、
”全摘していたら違う結果になったかな?”と考えそうで嫌だった事と、
放射線にかかる時間(仕事復帰が遅れる?)と金銭的な問題があり、
入院して2〜3日頃から全摘に気持ちを固めつつあったのだ。
 
しかし夫と夫の両親が、
”陽性・陰性にかかわらず、胸は残してほしい”とS先生に訴え、
「ないよりあるほうがいいに決まっている・・・」
「駄目ならまた手術すればいい・・・」等の事を言い出し、私を説得しようとする。
当人の気持ちを無視し、自分達の気持ちを押し付けようとする態度に、
心底から腹が立ち、うんざりした。
それまでの言動から察するに、”片胸”の嫁が○○家の嫁なんて・・・という
感じがありありなのだ。
私は、「自分の身体の事なんだから、最終的には私が決める!」と怒り、
しばらく口論が続いたが、
S先生と私の両親の助言で

  1. 温存する方向で、1/4を切除。
  2. 切除部を術中検査する。
  3. 陰性ならそのまま閉じる。陽性なら全切除にその場で変更する。

という事で納得し、手術同意書にサインをした。
しかし、夫側の私を無視したやり方に不安と不満を覚え、イライラしていた。
 
次は麻酔科での診察・説明を夫と2人で受ける。
こちらはスムーズに終了し、麻酔同意書にサインをする。
 
その後、早めの入浴をし、浴室の鏡に胸を映してみた。
小さいながらも、乳ガン告知まではそれなりに気をつかっていたが、
鏡に映っていたのは、今までのニュアンスの”胸”と違う、ただの”胸”。
身体にくっついている”モノ”としか思えなくなっていた。
 
夕方からは、友人・知人が引っ切り無しにお見舞いに訪れてくれた。
昼間のイライラした気持ちも吹っ飛ぶ。
 
就寝前になり、下剤を飲む。
乳房の手術では、下剤・浣腸はしなくていいらしいのだけれど、
私はひどい便秘だったので、看護士さんが「術後すぐは大変だから」と
気を利かせてくれたのだけど、
それが術後にある出来事を引き起こす事になったのでした。
念の為にと、睡眠導入剤も出してくれたのだが、それは飲まずに就寝。
 
 

posted by かかん at 03:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月23日

入院(手術前)

告知から2日後、検査を受けた市内の総合病院に予定通り入院する。
入院説明を受け、病室へ。
 
午後は外出許可をもらって、職場へ報告と手持ちの仕事の引継ぎに向かう。
当時私の立場は派遣社員で、前日に派遣先のチーフに報告した際に
「契約破棄にはならないと思う」と言われたとはいえ、クビになるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
そして、雇用元の会社では、派遣先の職場の指示に従うように言われていた。
(ホントは雇用元から派遣先に連絡するのがスジではないかと思うのだけれど・・・)
 
部長・課長・チーフと面談し、”月末ごとに状態を報告し、休業は半年を目安に考える”という派遣社員としては寛大な結果をもらった。

課員約30名のほぼ半数が、派遣や取引先からの出向だったという状態もあり 、社員との差はほとんどない職場だったからだろう。
 
でも安心はできない。上司が異動になり新しい上司がきたらそれは簡単に覆されるかもしれない。
当時の私にとっては家にいるのが辛く、職場がオアシスだった為、早く職場復帰するのを目標にした。
 
手術は一週間後に決まり、それまではCT、MRIなどの検査があるくらいで基本的には暇だ。
図書館で借りてきた乳癌に関する本や、結婚してからなかなか読めなかった小説等を読み、入れ替わり立ち代わり訪れてくれる友人、職場の人・親戚達とたわいもない雑談をして過ごす。
夫も朝晩来てくれたし、実家の母親も毎日片道30分ほどの時間をかけて訪れてくれ、結果的には暇と感じることはなかった。
 
私は、幼少から10代中盤まで気管支喘息に苦しみ、学校も休みがちだったが、入院・手術は初めての事だった。 
それでも当時はなぜか不安はなかった・・・と思う。
病室にいるほうが家より気が楽だった事、上記のように周囲の人達がお見舞いに来てくれた事、早く職場に復帰するという目標があったから。
 
入院中、乳癌に関する本を読んで、病期にもよるが”癌=必ずしも死につながる”ということではないと知った。
”セカンドオピニオン”という言葉も、”乳腺外科”という専門を設けている病院があるという事も、”医者のいう通り”ではなく”自分の病気を知って考え、納得した治療を受ける”という事も知った。
 
私が検査・入院をした病院は、市内では唯一の総合病院だが、実はあまり評判がよくなかった。
田舎だからか、乳腺外科もない。
 
手術前にお見舞いに訪れてくれた人の中で、身内を含め何人かが県外や県内の自宅から離れた、大きな病院に転院を薦めてくれた。
しかし、私は、また一から診察や検査に費やす時間が嫌だったし、早く手術をして仕事に復帰したかった。
そうなれば通院する際、遠い病院だと職場にも迷惑がかかる。
  
そして、初診で即検査をオーダーし、その日に告知という迅速な対応をしてくれた、当時の主治医S先生に対し、すでに信頼感を持ちつついたのだ。
まあ、病床があいているというのは、評判がよくない証拠なのかもしれないけれど(笑)。
 
病院全体のシステムや評判等も大事だが、一番大事なのは主治医が信じられそうかどうか、だと思ったので、私の中で転院やセカンドオピニオンをとるという選択はなかった。
 
手術前日に手術説明があった。それ以降はまた次回に・・・。
 
 
 

posted by かかん at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

癌が発覚

2000年 夏

 「結果は悪性、いわゆる乳癌です。ベッドが空いているので明日入院できますか?」と医者から告げられた。

結婚と同時に夫の両親と同居して半年。
世間一般の例に洩れず、当時の私は大変なストレスを抱えていた。

私に嫌味・いやがらせを行い、蔑むような目で見る姑。
それに対し、なんのフォローもない舅。
夫といえば自らの理想とする結婚・同居生活を私に押し付け、文句ばかり。
これでも夫とは長年付き合っていたのだが、私は”1年我慢して改善の余地がなければ離婚しよう・・・”と思って生活していた。

夫の手前上、食事は食べるがその後吐いてしまう。
姑の顔を見る度に胃が痛くなり吐く、の繰り返しで見る見る痩せ、そんな状況を知っている実家の母は、私とこっそり会うたびに私の身体をさすりながら良く泣いていた。

当時の私は、車で30分弱の実家に気軽に行くのも許されず、友人達との外出もなかなか都合が合わずで、唯一の息抜きの場所は会社だった。
残業は多く、デスクワークだが仕事はキツイ。
でも”本来の自分”を開放できる場所は職場しかなかったのだ。

そんな中、職場の健康診断で”甲状腺が腫れている”との指摘を受け、市内の総合病院に検査に向かった。
その少し前に、友人Tちゃんが胸のしこりの検査を受けて良性だったという話を聞いたので、結婚してから半年で急に大きくなった胸のしこりをついでに見てもらおうと思いついた。
私は、10代後半から病院にお世話になった事はほとんどない。
この機会を逃したら、次はいつ病院に行く気になるかわからない。

私の父方・母方には、癌で無くなった人はゼロ。
だから、しこりが悪性のものとは全く思っていなかった。
むしろ甲状腺は身内が手術をしているので、そちらの方が心配だった。
私にとって、胸の検査はほんのついでだったのだ。

診察での触診後、主治医の緊急指示で採血・レントゲン・マンモグラフィー・エコー。
エコーは技師1人だったのが途中で3人に増え、かなりの時間がかかった。
技師は私に直接話しはしないが、この時点で良性ではないだろうと予想がついた。
再度診察し、細胞針。
結果が出たら電話するので夕方以降は家にいるようにと言われる。
その足で図書館に向かい、数冊の乳癌についての本を借りて実家に向かった。
現状を報告。母は泣き崩れた。私もそこで初めて泣いた。

家に帰宅し、夕方5時すぎに電話で冒頭の内容を告げられる。

検査中の様子で予測していたけれど、やはりショックだった。
しかし、入院という言葉を聞いて若干の嬉しさも感じていた。
この息苦しい家から入院中は逃れられるのだ!

ショックと嬉しさが入り混じった、奇妙な感情で主治医にお礼を伝え、入院を明後日にしてもらうよう頼む。
翌日は数ヶ月ぶりに友人と外出の約束をしていたのだ。
当時の私は”ガン=死”という間違った認識をしていた。
死ぬ前に、大好きな友人と楽しい時間を過ごしたいと思った。

翌日、友人と買い物と映画を楽しんで帰宅した後、入院準備をし、床につく。
夫と少し話しをして2人で泣いた。

posted by かかん at 03:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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