2006年11月10日

治療:再発−4

2006年
7月  点滴時間の短縮・薬価の安さにより
     ビスフォスフォネート剤を変更。
     【ホルモン療法】 経口◆アロマシン 25mg
     【その他】 点滴◆アレディア
              ↓
     【その他】 点滴◆ゾメタ 4mg
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治療:再発−3

2005年
11月 肝転移増大腫瘍マーカー上昇により治療変更
        (EC 4クールで打ち切りとなる)
     【化学療法】 点滴◆EC 4〜6クール
     【EC副作用に対する経口薬】
             ◆デカドロン錠 0.5mg 4日分
             ◆ガスターD錠 20mg 4日分
             ◆プロマック顆粒 0.5g/包 4日分
             ◆ゾフランザイディス 4mg 3日分
             ◆プリンペラン錠 5mg 7日分
             ◆マグラックス錠 330mg 14日分
             ◆アローゼン顆粒 0.5g/包 20回分
                   ↓
     【ホルモン療法】 経口◆アロマシン 25mg
     【その他】 点滴◆アレディア
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治療:再発−2

2005年
 8月 多発性肝転移発覚、腫瘍マーカー上昇により治療変更
     (肝腫瘍最大径:14mm×11mm)
    【ホルモン療法】 経口◆ノルバデックス(タスオミン)20mg
                皮下注◆ゾラデックス3.6mg
                   ↓
    【化学療法】 点滴◆EC 4〜6クール
                   1.デカドロン&ザンタック 10分
                   2.カイトリル 30分
                   3.エピルビシン 10分
                   4.シクロフォスファミド 60分
    【EC副作用に対する経口薬】
             ◆デカドロン錠 0.5mg 4日分
             ◆ガスターD錠 20mg 4日分
             ◆プロマック顆粒 0.5g/包 4日分
             ◆ゾフランザイディス 4mg 3日分
             ◆プリンペラン錠 5mg 7日分
             ◆マグラックス錠 330mg 14日分
             ◆アローゼン顆粒 0.5g/包 20回分
               *マグラックス,アローゼンはEC#2より追加
    【その他】 点滴◆アレディア

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治療:再発−1

2005年
 5月 多発性骨転移発覚
     (骨シンチにて、骨盤・仙骨・胸骨に集積有り)
 6月 現在の病院に転院 治療開始
     【ホルモン療法】 経口◆ノルバデックス(タスオミン)20mg
                皮下注◆ゾラデックス3.6mgデポ
     【その他】 点滴◆アレディア
HER2受容体◆ 1+ ハーセプチン適用無し
   (ハーセプチンは2001年適用なので手術時は調べてなかった)
 

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治療:初発

2000年 夏 (当時31歳)
  【手術】 左乳房扇状部分切除(1/4)&リンパ節郭清
  【結果】 組織型◆硬ガン   病期◆Ua
        ホルモン受容体◆Er,Pgr共に陽性
        リンパ節転移◆有り  多臓器転移◆無し
  【術後療法】 放射線照射◆25回 総線量50Gy
          ゾラデックス皮下注射◆24回(4〜5週に1回)
2002年 夏
  ゾラデックス終了。以降、無治療となる
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2006年11月06日

手術翌日

「お、おなかが痛〜い!!!」
手術日の夜中、というか翌日の明け方というべきだろうか、
突然の激痛に襲われた!
 
手術後は個室に移ったので、その日は夫が泊まってくれた。
夜には意識がはっきりしていたのではないかと思うのだけど、
おなかが痛くなるまでの記憶はない。
私が覚えているのは、この事からだ。
 
夫がナースコールを押し、看護師さんが来てくれて
処置してくれた。
原因は・・・そう!手術前日の夜に飲んだ下剤だ。
”ラキソベロン 10ml”は、手術前に結果を出さずに、
術後で動けないその時期に頑張りだした。
いや、ラキソベロンが悪いのではない。
私の怠慢な腸がラキソベロンによって、やっと重い腰を
挙げたのだ。
腸の持ち主である私が、怠慢な性格なのだから仕方がない。
 
その後も定期的におなかが痛くなるのだけれども、
トイレには立てないし、一応羞恥心もある。
でも、もうダメだ!と思った矢先、夫が先ほどの看護師さんの
見様見真似で処置してくれた。
 
結婚半年で、夫に下の世話をしてもらうとは思ってもみなかった。
その時はとても情けなく、なんとも言いようがない気持ちに
なったけれど、その出来事をきっかけに、私と夫の関係が
徐々に変わり、現在に至る。
人生、何が幸いするかわからない。
 
手術翌日、午前の主治医の診察でカテーテルを外してもらった。
夫と交代した実母に付き添われ、フラフラしながらトイレに
何度か通い、昼頃にはすっきりした。
(内容に気分が悪くなった方がいましたら申し訳ありません)
 
午後になり、肺の状態とドレーンがしっかり入っているかの
確認のため、レントゲン室に向かう。
その頃には、すでに一人で歩く事ができた。
 
 
posted by かかん at 03:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月05日

手術当日

手術日を迎えた。
 
以下、病院からの指示メモと夫によるメモから。
 
前日21時〜 : 飲食禁止
当日 起床後 : ペディキュアをとる
   11時半 : 準備麻酔の薬を飲む
         : 下着を外し、手術衣に着替える 
 
   13時   : 手術室へ
           (ドクター:3人、看護師さん:2人)
   16時半 : 手術終了。個室へ移動
 
以上のような流れだったようだ。
この日の事は、ほとんど記憶にない。
午後からは手術の麻酔で記憶にないのが当然だけど。
 
マニキュアは入院当日に除去したが足は残していた。 
準備麻酔の薬は、たしか睡眠導入剤だったと思う。
手術室へはストレッチャーで運ばれた。
入室したら肌寒かった記憶がある。
 
手術中、検査にまわす前に、切除した部分を
夫と実両親と義両親が見たそうだ。
私も見たかったー!
今なら携帯で撮影してもらえたかもしれないけれど、
当時はカメラ付携帯はなかった気がする。
できれば手術もビデオ撮りして見たかったな。
自分の身に起こっている事が自分で確認できないのは
なんだか変な気がする・・・。
(って、そんなのを見たい私が変?)
 
術中検査の結果、断面陰性だった為
当初の予定通り、胸は温存する事になった。
 
手術室を出てきた私は、目が充血して泣いていたそうだ。
うなされてブツブツ言っていたらしく、その内容は
「ハンバーガーが食べたいよ」
「フライドポテトが食べたいよ」
「ラーメンが、焼肉が、コーラが・・・(以下略)」
全くお恥ずかしい限りで・・・。
目覚めるまで待機していた看護師さん達も
笑っていただろうなぁー。
身体の事に関しては
「重いよー」
「暑いよー」
などと言っていたらしい。
 
術後、個室に移ったのは夫の計らいだった。
通常はナースセンター隣の看護室らしい。
3日後に大部屋に移る事になるのだが、
その部屋で一緒だった方(同病ではない)は
術後に”お金や支払い”の事を言ってうなされていたそうだ。
「どっちも恥ずかしいねぇ!」と言って
2人で笑った。
posted by かかん at 01:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

注意力散漫

今日、外出中に階段から足を踏み外した。
あと少しで地面に(たぶん5段くらい)というところで、
いっきにお尻で滑り下りてしまった。
 
私の骨転移は現在、手足以外のすべてに及んでいる。
MRIのデータを見ると、ひどいのは頭蓋骨と骨盤周辺。
整形外科の先生から、”骨折を防ぐために転倒しないように”
との注意を受けている。
 
なのに、なのに・・・!
尾てい骨を打ってしまった。
その瞬間から涙が止まらなくなってしまい、
その場でしばらく泣き続けた。
周囲の人達は、よほど痛かったんだと思っただろう。
確かにかなり痛かった。
でも痛みより、骨折の恐怖とその先の生活への不安が
一気に吹き出て、どうにもならなくなってしまったのだ。
幸いなことに5分ほどしたら歩くことができたし、
娘を巻き込まずに済んだ。
一緒にいた、病状を知っているKちゃんのフォローもありがたかった。
 
夕方、娘がお気に入りのTV番組で
トーマスの”じこはおこるさ”という歌がながれる。
ノリのいいポップな曲なのに、詩の内容は事故・・・というギャップが 
個人的にとても好きなんだけれど、
”自信過剰になっているとたいがい注意力散漫に
なっちゃうから(事故が起こるんだよ)ね”という節があり、
正にそのとーり!!!と思ってしまった。(自信過剰とは違うけど)
 
今もまだ尾てい骨が痛い。
歩くには問題がないので骨折はしていないだろうけど、
座ると痛いので、出産後に使っていた円座クッションを出してみた。
もう出産はできないので処分しようと思っていたのだけど
とっておいて良かった〜♪ 
  
 
 
posted by かかん at 02:13| Comment(4) | TrackBack(0) | カラダのいろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

手術前日

手術前日に、当時の主治医S先生から説明があった。
室内には、S先生と看護士さん、私と夫と私の両親、そしてなぜか夫の両親。
 
入院中に行った検査結果を交え、手術方法の提案をされる。
 
*以下は乳腺専門ではない主治医からの2000年当時の提案です

  • 全摘・・・左胸全切除&リンパ切除
  • 温存(断面陰性)・・・上部腕側 1/4扇状切除&リンパ切除

                 術後放射線 25回

  • 温存(断面陽性)・・・術中に全切除に変更するか否か。

                 温存にこだわるならば、放射線と抗がん剤が
                 残ったガン細胞に利くかもしれない。
                 ただし、経過によって再手術を行う事もある。
 
”断面陰性の温存”と”全摘”の予後を比較しても、
治療成績はほとんど変わらない、と説明を受けたうえで、私は全摘出を申し出た。
仮に、温存で術後再発したと考えた時、
”全摘していたら違う結果になったかな?”と考えそうで嫌だった事と、
放射線にかかる時間(仕事復帰が遅れる?)と金銭的な問題があり、
入院して2〜3日頃から全摘に気持ちを固めつつあったのだ。
 
しかし夫と夫の両親が、
”陽性・陰性にかかわらず、胸は残してほしい”とS先生に訴え、
「ないよりあるほうがいいに決まっている・・・」
「駄目ならまた手術すればいい・・・」等の事を言い出し、私を説得しようとする。
当人の気持ちを無視し、自分達の気持ちを押し付けようとする態度に、
心底から腹が立ち、うんざりした。
それまでの言動から察するに、”片胸”の嫁が○○家の嫁なんて・・・という
感じがありありなのだ。
私は、「自分の身体の事なんだから、最終的には私が決める!」と怒り、
しばらく口論が続いたが、
S先生と私の両親の助言で

  1. 温存する方向で、1/4を切除。
  2. 切除部を術中検査する。
  3. 陰性ならそのまま閉じる。陽性なら全切除にその場で変更する。

という事で納得し、手術同意書にサインをした。
しかし、夫側の私を無視したやり方に不安と不満を覚え、イライラしていた。
 
次は麻酔科での診察・説明を夫と2人で受ける。
こちらはスムーズに終了し、麻酔同意書にサインをする。
 
その後、早めの入浴をし、浴室の鏡に胸を映してみた。
小さいながらも、乳ガン告知まではそれなりに気をつかっていたが、
鏡に映っていたのは、今までのニュアンスの”胸”と違う、ただの”胸”。
身体にくっついている”モノ”としか思えなくなっていた。
 
夕方からは、友人・知人が引っ切り無しにお見舞いに訪れてくれた。
昼間のイライラした気持ちも吹っ飛ぶ。
 
就寝前になり、下剤を飲む。
乳房の手術では、下剤・浣腸はしなくていいらしいのだけれど、
私はひどい便秘だったので、看護士さんが「術後すぐは大変だから」と
気を利かせてくれたのだけど、
それが術後にある出来事を引き起こす事になったのでした。
念の為にと、睡眠導入剤も出してくれたのだが、それは飲まずに就寝。
 
 

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2006年10月23日

入院(手術前)

告知から2日後、検査を受けた市内の総合病院に予定通り入院する。
入院説明を受け、病室へ。
 
午後は外出許可をもらって、職場へ報告と手持ちの仕事の引継ぎに向かう。
当時私の立場は派遣社員で、前日に派遣先のチーフに報告した際に
「契約破棄にはならないと思う」と言われたとはいえ、クビになるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
そして、雇用元の会社では、派遣先の職場の指示に従うように言われていた。
(ホントは雇用元から派遣先に連絡するのがスジではないかと思うのだけれど・・・)
 
部長・課長・チーフと面談し、”月末ごとに状態を報告し、休業は半年を目安に考える”という派遣社員としては寛大な結果をもらった。

課員約30名のほぼ半数が、派遣や取引先からの出向だったという状態もあり 、社員との差はほとんどない職場だったからだろう。
 
でも安心はできない。上司が異動になり新しい上司がきたらそれは簡単に覆されるかもしれない。
当時の私にとっては家にいるのが辛く、職場がオアシスだった為、早く職場復帰するのを目標にした。
 
手術は一週間後に決まり、それまではCT、MRIなどの検査があるくらいで基本的には暇だ。
図書館で借りてきた乳癌に関する本や、結婚してからなかなか読めなかった小説等を読み、入れ替わり立ち代わり訪れてくれる友人、職場の人・親戚達とたわいもない雑談をして過ごす。
夫も朝晩来てくれたし、実家の母親も毎日片道30分ほどの時間をかけて訪れてくれ、結果的には暇と感じることはなかった。
 
私は、幼少から10代中盤まで気管支喘息に苦しみ、学校も休みがちだったが、入院・手術は初めての事だった。 
それでも当時はなぜか不安はなかった・・・と思う。
病室にいるほうが家より気が楽だった事、上記のように周囲の人達がお見舞いに来てくれた事、早く職場に復帰するという目標があったから。
 
入院中、乳癌に関する本を読んで、病期にもよるが”癌=必ずしも死につながる”ということではないと知った。
”セカンドオピニオン”という言葉も、”乳腺外科”という専門を設けている病院があるという事も、”医者のいう通り”ではなく”自分の病気を知って考え、納得した治療を受ける”という事も知った。
 
私が検査・入院をした病院は、市内では唯一の総合病院だが、実はあまり評判がよくなかった。
田舎だからか、乳腺外科もない。
 
手術前にお見舞いに訪れてくれた人の中で、身内を含め何人かが県外や県内の自宅から離れた、大きな病院に転院を薦めてくれた。
しかし、私は、また一から診察や検査に費やす時間が嫌だったし、早く手術をして仕事に復帰したかった。
そうなれば通院する際、遠い病院だと職場にも迷惑がかかる。
  
そして、初診で即検査をオーダーし、その日に告知という迅速な対応をしてくれた、当時の主治医S先生に対し、すでに信頼感を持ちつついたのだ。
まあ、病床があいているというのは、評判がよくない証拠なのかもしれないけれど(笑)。
 
病院全体のシステムや評判等も大事だが、一番大事なのは主治医が信じられそうかどうか、だと思ったので、私の中で転院やセカンドオピニオンをとるという選択はなかった。
 
手術前日に手術説明があった。それ以降はまた次回に・・・。
 
 
 

posted by かかん at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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