2006年10月20日

癌が発覚

2000年 夏

 「結果は悪性、いわゆる乳癌です。ベッドが空いているので明日入院できますか?」と医者から告げられた。

結婚と同時に夫の両親と同居して半年。
世間一般の例に洩れず、当時の私は大変なストレスを抱えていた。

私に嫌味・いやがらせを行い、蔑むような目で見る姑。
それに対し、なんのフォローもない舅。
夫といえば自らの理想とする結婚・同居生活を私に押し付け、文句ばかり。
これでも夫とは長年付き合っていたのだが、私は”1年我慢して改善の余地がなければ離婚しよう・・・”と思って生活していた。

夫の手前上、食事は食べるがその後吐いてしまう。
姑の顔を見る度に胃が痛くなり吐く、の繰り返しで見る見る痩せ、そんな状況を知っている実家の母は、私とこっそり会うたびに私の身体をさすりながら良く泣いていた。

当時の私は、車で30分弱の実家に気軽に行くのも許されず、友人達との外出もなかなか都合が合わずで、唯一の息抜きの場所は会社だった。
残業は多く、デスクワークだが仕事はキツイ。
でも”本来の自分”を開放できる場所は職場しかなかったのだ。

そんな中、職場の健康診断で”甲状腺が腫れている”との指摘を受け、市内の総合病院に検査に向かった。
その少し前に、友人Tちゃんが胸のしこりの検査を受けて良性だったという話を聞いたので、結婚してから半年で急に大きくなった胸のしこりをついでに見てもらおうと思いついた。
私は、10代後半から病院にお世話になった事はほとんどない。
この機会を逃したら、次はいつ病院に行く気になるかわからない。

私の父方・母方には、癌で無くなった人はゼロ。
だから、しこりが悪性のものとは全く思っていなかった。
むしろ甲状腺は身内が手術をしているので、そちらの方が心配だった。
私にとって、胸の検査はほんのついでだったのだ。

診察での触診後、主治医の緊急指示で採血・レントゲン・マンモグラフィー・エコー。
エコーは技師1人だったのが途中で3人に増え、かなりの時間がかかった。
技師は私に直接話しはしないが、この時点で良性ではないだろうと予想がついた。
再度診察し、細胞針。
結果が出たら電話するので夕方以降は家にいるようにと言われる。
その足で図書館に向かい、数冊の乳癌についての本を借りて実家に向かった。
現状を報告。母は泣き崩れた。私もそこで初めて泣いた。

家に帰宅し、夕方5時すぎに電話で冒頭の内容を告げられる。

検査中の様子で予測していたけれど、やはりショックだった。
しかし、入院という言葉を聞いて若干の嬉しさも感じていた。
この息苦しい家から入院中は逃れられるのだ!

ショックと嬉しさが入り混じった、奇妙な感情で主治医にお礼を伝え、入院を明後日にしてもらうよう頼む。
翌日は数ヶ月ぶりに友人と外出の約束をしていたのだ。
当時の私は”ガン=死”という間違った認識をしていた。
死ぬ前に、大好きな友人と楽しい時間を過ごしたいと思った。

翌日、友人と買い物と映画を楽しんで帰宅した後、入院準備をし、床につく。
夫と少し話しをして2人で泣いた。

posted by かかん at 03:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 初発のとき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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